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2016年4月23日「慶應あるびよんくらぶ」、土曜教養講座コンサート

慶応義塾大学は私の母校でもあるんですが、その慶應に英国の文化、政治、社会などを研究する「慶應あるびよんくらぶ」と云うクラブがありました。実は私は在学中は知らなかったんですが、設部は古く1951年だそうです。1988年の卒業生を最後に38年に亘る歴史に幕を閉じましたが、その後、2001年(平成13年)の11月にOB会発足50周年を祝う会をきっかけに卒業生の皆さんが集まって講演会などを開いているそうです。

その教養講座でのコンサートです。平成24年に最初のレクチャーコンサートをさして頂いたのですが、今回は2回目になります。今回は前回のレクチャーコンサートとは違い、レクチャーなしの全くのコンサートになります。ちょっとトークが多いコンサートという感じですね。

 「慶應あるびよんくらぶ」の詳しいことはこちらをご覧下さい。
http://www.keioalbion.net/index.html

日程:
平成28年4月23日(土曜日)
時間:
午後2時から4時ごろまで。教室にはは1:30ごろから入れます。
会場:
慶應義塾大学 三田キャンパス 南校舎内 455番教室(5階)
会費:
1000円
お問合せ:
TEL 090-9293-0278 阿部まで

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深草アキ先生「秦琴」のご講演をお聞きして
吉永加武人(慶應大学法学部法律学科2年/英国文化研究会会員)


「秦琴」という楽器を知ったのは、今回の講演がはじめてでした。私に限らず、会場にいらっしゃったほとんどの方も同じだったと思います。いにしえの中国の王朝・秦(しん)に琴とかいて「秦琴」。漢代から六朝時代にあった、円形の胴体に柱(=フレット)のついたまっすぐな棹をもつ四絃の絃楽器がベースになっているとされるこの古楽器は、1950年代ごろまでの中国では 最もポピュラーな楽器としての地位があったそうですが、現在では演奏者はほとんど存在しないそうです。日本での演奏者は、今回講演をしてくださった深草アキ先生のみという状況です。音楽大学で秦琴専科が設置されなかったことにより、プロの演奏家が育たなかったのが主な原因だそうです。幻の楽器。その単純な構造と素朴な音色のためか、大学教育の範疇外とみなされてしまったのかもしれません。

しかし、「単純で素朴だからこそ、一朝一夕に表現できる楽器ではない。コツコツと音を積み重ね、独自の音色を創造できる」と深草先生。30数年前に、骨董市で放置され朽ちかけていた秦琴に偶然出会い、強烈なイ ンスピレーションを受け、夢中で修理し音色をよみがえらせ、以来秦琴を伴侶として歩み続けてきたという先生の一言一言は、この古楽器に対する愛情、さらに は音楽に対する思いに満ちていました。「音楽の表現は、演奏者自身が心に秘める内の要素と、楽器を演奏するという外の要素の2つがあってはじめて成立する。未知の音楽をつくるというのは、内の要素をどのように具現 化するか模索すること。秦琴の音色をもとに自分自身から素直に紡ぎだせる音をつくりたかった」「古代中国の演奏家は、演奏に作為が入るのを嫌った。すなわ ち聴衆を感動させようとする意図のもと等の演奏をよしとせず、不作為の演奏を追求した」「中国の思想では、音楽とはもともと天に存在する完全なる秩序。地上の音楽はその不完全な具現化にすぎない。したがって、完全な存在である皇帝は音楽などたしなまなかった。不完全なる音楽は、身分の保障の全くない行きず りの音楽家のするものであった」。ことばの数々は、東洋の音楽を神秘的な音色で演奏する先生の姿とともに、心に残りました。

朽ちゆこうとしていた楽器を決して手放すことなく地道に蘇生させ、唯一の秦琴奏者として知られるようになった深草先生のエネルギーは、 一体どこからきていたのだろうか。お話を聞いているうちに、私はこの点に興味を持ちました。しかし、人の知をこえたものが先生と秦琴との間を強力に結びつけた。説明はこれで十分なのではないか、と私は思います。先生が「強烈なインスピレーション」と表現する感覚、これが縁というものなのではないか。そんな ことを考えさせてくれました。
深草先生のご講演内容は、中国における琴の発展過程を分かりやすく解説してくださったこともさることながら、上述したような先生と秦琴との出会いのエピソードや、摩訶不思議な音色を放つ秦琴の生演奏がとても印象的でした。偶然の出来事を発端として、既成の枠にとらわれない新たな可能性が みえてくる。単身でその新たな世界に入り込み、自分の力で開拓していく。独自の世界を打ち立てるような人々はみな、深草先生と同じような経緯をたどっているのではないか、と思います。

この点につき、私がとてもおもしろいと感じるのは、その発端が「偶然」であることです。知恵の及ばないところに人生最大の発見がころがっている、と考えるとき、おのずから自分の限界を知り、謙虚な気持ちになれる。夏目漱石の晩年のことばに、「不自然は自然には勝てないのである。技巧は 天に負けるのである。策略として最も効力あるものが到底実行できないものだとすると、つまり策略は役に立たないといふ事になる。自然に任せて置くがいいと いふ方針が最上だといふ事に帰着する」という、いわゆる則天去私の境地をあらわしたとされるものがありますが、深草先生のエピソードは、この一節に通じる ものがあるのではないでしょうか。

いままでの自分自身のエピソードをふりかえってみても、事が予期したとおりに運んだことよりもむしろ、予想外に展開していったことのほうが多いように感じます。しかし、予想外の中にこそ出会いが待っている。深草先生のお話は、そんな前向きな気持ちになれるようなものでした。
このようなすばらしい講演会に参加するよう声をかけていただいたことを、大変感謝しております。ありがとうございました。