私にとっても本当に懐かしい4枚のCDについて話したいと思う。CDといっても勿論最初のリリースはレコードの時代だけれど。「NIPPONJIN」とあるCDはレコードのときには「地球空洞説」と言うタイトルでリリースされたもので、1976年、今から32年前のことだ。バンド名はファーイーストファミリーバンドと観世音。当時私はベーシストだった。ロンドンのヴァージンレコード、マナースタジオでファーイーストの2作目のレコーディングもした。今もはっきりと覚えている。ロンドンで古いジャズベースを手に入れよくそれを弾いていた。いまも私の手元にある。
小学生の時からアメリカンポップスが好きで中学三年の時初めてエレキギターを買い、高校の時はバンド三昧だった。バンド仲間と一緒に東京の大学に入り上京してきた。大学祭で演奏なんかもしていたが卒業しても音楽をやめられず仲間のうちでは私一人音楽の道に入った。バンドの成功を目指すメンバーと出会い色々なところで演奏した。そして1975年コロムビアレコードからレコードデビューするファーイーストファミリーバンドにベーシストとして参加した。皆個性が強かったので三年程で解散したが思い出に強く残っている。その後ギターのすごく上手い友人のミュージシャンと共に「観世音」というバンドを作って演奏活動をしていた。そのCDが観世音とタイトルした黒いCD。その音楽活動の中で秦琴と出会った。
これらのCDは追々アーカイブスのサイトに入れ多少音も聞けるようにしたいと思っている。
最初はレコードで「地球空洞説」と言うタイトルで1976年にリリースされた。
六人のメンバーだった。一番右がベースの私。ドマムの高崎静夫氏、今は亡きボーカルの宮下富実夫氏、シンセサイザーの高橋正則こと喜多郎氏、ギターの福島博人氏、シンセサイザーの伊藤祥(あきら)氏、皆若かった。私は26歳だった。
ファーイーストは当時こんなに楽器を持っていた。移動も大変で気軽にライブが出来なかった。大きなコンサートには出ていたが、よく合宿をしていて、セッション三昧だった。今から思えばいい経験で思い出が深い。
2作目の「パラレルワールド」
ロンドンのマナースタジオで録音した。プロデューサー兼レコーディングエンジニアは当時ドイツのタンジェリンドリームと言うバンドのクラウツシュルツ氏だった。ほとんどセッションでレコーディングした。
ファーイーストの三作目の「天空人」
この時メンバーは既に四人になっていた。宮下富実夫氏、原田祐仁氏、福島博人氏、と私の四人。私はこの時既にやめていたのでゲストミュージシャン として参加した。
ファーイーストをやめてから友人のミユージシャンと結成した「観世音」と言うバンドの初CD。勿論最初はレコードだった。皆と合宿して録音した、思いで深い懐かしい音だ。
このバンド活動の中で私は秦琴に出会ったのだ。私が28、29歳の頃だ。今でも時々昔の音を聞いたりするが、すべてが夢、幻の様に過ぎていった。