- 2012年8月29日 22:41
「AKI FUKAKUSA LIVE ARCHIVES Vol.1 1989-1994」から『空華』をYou Tube にアップしました。1990年あたりのライブ演奏だと思いますが、ローランド(楽器メーカー)の初期のシーケンサーをバックにした不思議な曲です。映像は椿茂雄君の作です。いろいろ僕からの注文が多かったですが、やっと出来ましたね、お疲れ様でした。
「空華」、空に見る幻の花。幻の花は目を凝らせばいつか幻でなく真実の「華」の姿が見えてくるようになるのか、というと、そうではありません。幻の花、この「空華」こそ真実の華。刻一刻と現れては消えてゆく幻のような宇宙の様。この幻の姿こそが宇宙の姿であり、宇宙自体が一つの「空華」なのです。そうであるから、私達の目の前に起きて来る、様々な因縁に依って引き起こされるさなざまな様相、これもまた幻の華、「空華」なのです。しかしまたその「空華」は現実そのものでもあるのです。「空華」は理屈ではなく直覚なのです、そこに住み切ることです、しかし私達凡夫にはそれはなかなか出来ません。いつも目の前の現象に囚われ、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、です。疲れちゃいますね(笑)。(道元著『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう』 巻14「空華」)
2008年に発売されたCD、「AKI FUKAKUSA LIVE ARCHIVES Vol.1 1989-1994」のサイトです。
http://akifukakusa.com/2009/07/aki-fukakusa-live-archives-vol1-1989-199.html
こちらはYou Tube のサイトです。
http://www.youtube.com/watch?v=Hhc8TN9yk2A
『ある時』
多分、おそらく、命は共通の原理で繋がれた
無限に連なる一つの空間であろう
そしてその命はそれぞれが共有されていて
単体で存在するものは一つもなく、もし何かのきっかけで
一つの小さな命でもこの世に存在していないことになれば
この宇宙全体が
おそらくは最初から存在していないことになるであろう
従って存在と云う言葉は、単に生を意味するものではなく
死もそれには含まれる
死もまた一つの存在なのである
生から死にその存在が移り変わり、生は死から遣って来る
しかし不思議なことに
生に留まり続けることは出来ず、また死に居続けることも出来ない
どんな命も必ず、滅びと再生がある
巨大な惑星も、そしてまた私達の住むこの青い星のすべての命も
滅びと再生を繰り返し、その共有されている空間を変貌させている
その周期は
それぞれの命が固有に持ち合わせており
何れ一つとして重なることが無い
止むことのないその周期が、織りなし創り出す空間の様は
始まりも無く、終わりも無い
もしいつかこの空間の終わりがあるとすれば
あるとき、ある場所で
一つの小さな命が、生と死の存在を終え
静かに消えて行くのをきっかけに
全体がゆっくりと、存在の終わりに向かって消え始める
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