残念でならない

  • 2012年12月20日 22:02

残念でならない。今回の選挙の結果のこともあるのだけれど、それよりもなによりもこのような結果にした日本人自体が残念でならない。百歩も二百歩も三百歩もゆずって、小選挙区ではいろいろなしがらみもあるのだろうが、少なくとも比例ではなぜ多くの人が原発推進の政党に入れてしまったのだろうか。その政党名を書くとき、原発の惨状やいまなお放射能で苦しんでいる人達のことが少しでも頭をよぎらなかったのか。原発事故からまだ二年も経っていないのにもう忘れ去ってしまったのか。私達日本人にとってあの福島の原発事故はこの程度のものだったと云うのか。

「物極まれば必ず反す」という言葉があるが、原発の危険と矛盾が一挙に噴き出たあの事故は「極み」ではないと云うのか。おそらく二カ所も三カ所も事故にあってしまっていたら、ほとんどの人はもう原発はやめようということになっていただろう。しかしそうであるならそれはあまりにもおかしい。私はこの福島の原発事故がその程度のこととはどう考えても到底思えない。日々の苦しい生活にかまけて、人のことを心配するどころではないということも判るけれど、心のどこかで事故で苦しんでいる人達のことや放射能で汚染された国土のことが頭をよぎるはずだ。日本の国土も日本人も一つの人間の体のようなもので、左手が傷付き血を流していれば、体全体が必死に集中して直そうとする。自分は左足だから関係ないということには絶対にならない。なぜなら全体が傷付いてしまうからだ。

しかし、多くの日本人が放射能で汚染された国土にも目を向けず、苦しんでいる多くの人にも心を寄せることはなかった。私はかねてから原発事故は東電の責任でもなく、推進してきた政府の責任でもなく、日本人全体の責任であると考えてきた。そうでなくては、一人一人が真摯に事故に立ち向かうことなく、誰かのせいにして事故から目を背けてしまうことになってしまうからだ。この原発事故は日本人全体の責任であることが、いま正に明らかになった。そして多くの人はその苦しみと惨状を顧みることもなく、また誰も責任を取ることもない。そんな日本人が残念でならない。

即原発をなくすと云う旗を掲げている政党や人達に云いたい。あなた達は本当に原発を無くしたいと思っているのだろうか。あなた達の親派に向けて、その囲い込みにのためにそう云っているのではないか。多くの普通の人達は原発を無くしたいのだけれど、やはり日々の生活や経済も心配なのだ。その気持をなぜすくい取ろうとしなかった。即原発をなくすと云えば、必ず経済的問題が頭をもたげてくるのは自明のことだ。多くの人達のその不安をなぜすくい取ろうとしなかった。その人達の賛同なくしては決して原発問題は成就できない。その多くの人達の声をすくうこと無くして原発はなくならない。それをなぜ無視した。

そしてもう一つ残念なことがある。それはこの非原発という決断が、アメリカや世界の国々の影響を受けることなく、日本人が日本社会の行く末を、自ら決断し創造してゆく、戦後唯一の決断になるような気がしていたからである。きわめて自立的、創造的な出来事になることを期待していた。与えられた物を享受してゆくのではなく、一人一人が自ら考え自立し、そうした新しい社会を創造し実現してゆくことを期待していた。そして私達日本人はその技術と叡智とを結集してそれを成し得るであろうと考えていた。その活気溢れる創造的な社会を思い描いていた。しかし日本人はそれもまた放棄した。今後おそらく、発送電分離は遅々として進まず、原子力規制委員会のメンバーも知らぬうちにゆっくりと入れ替わってゆくであろう。

しかし私は、非原発、非核という思いを捨てたりはしない。なぜなら、世界中の多くの人々が心の奥のその奥底にそんな夢を見ていると信じているから。

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