9月22日の町田駅前ビル「パリオ」でのコンサートの写真が届いた

  • 2018年9月27日 13:59

9月22日の東京・町田駅前ビル「パリオ」でのコンサートの写真が届いた。先の投稿のようにキルト作家・つるた聰子さんの展覧会でのプレイベントコンサート、撮影は私の友人のカメラマンの阿部氏。つるたさんの作品のなかには私の曲からインスピレーションを受けたものが何点かあり、そんな作品に包まれたようなコンサートになりました。会場は広いフリースペースで、写真からでは前面しかわからないですが後方にもかなり大きなスペースが広がっていて、そこにも大きな作品がいくつも飾られ、前々日から作品展示の準備そして前日には私たちのコンサート準備と、ある程度時間に余裕があったのでその分しっかりと音の調整ができましたが、当日はいつものように 多少緊張気味での演奏になっちゃいましたね、ま、ちょっと上がり症の私のいつものことだけれど。

寄りの写真も幾つかありますが、最後の写真はいい感じでなんか遺影に使ってもいいなぁ。iphoneで撮ったビデオはうまく編集ができたらまたアップしましょう。尚、展覧会は30日まで開催されていますので、町田方面のかたは是非お出かけ下さい。

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草月流の小寺春晃さんと草照流の藤澤照瑛さんによって生けられ大きなお花がいくつも飾られ、つるたさんの作品と相まって無機質なスペースがとても華やいだ雰囲気になってました、女性たちならではの設えですね。

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二部の最初はつるたさんとのトーク。何を話したかもう忘れてしまったけれど、秦琴という楽器を見るのも初めての人が多かったので、楽器を持ち上げながらの解説。

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遺影にしたいようないい感じの写真。

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以下、プログラムと、プログラムに載せた演奏曲目の解説。一曲150文字以内の制約のなかで。

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1st

1)    沙羅の糸

「月調」という調弦で奏でられるこの曲は私が秦琴を弾き始めた最も初期の時期に作曲した曲です。1988年発売のCD『星の大地』に収録されていますが、「沙羅の糸」という曲名は人の「縁」の繋がりを糸に喩えたものです。羅網のように張り巡らされた目に見えぬ縁の糸に運ばれ、皆様の命と私の命とが今ここで出会っているのです。

2)    荒城の月〜宵待草

明治12年に生まれ、24才で亡くなった滝廉太郎作曲の「荒城の月」。皆さんご存知の曲ですね。ただ原曲の「荒城の月」は皆さんが覚えているメロディーとは一箇所異なる所があります。今回は原曲のメロディーを演奏します。続いて「宵待草」、作曲は多忠亮(おおのただすけ)、この曲も竹下夢二の作詞で皆さんよくご存知と思います。

3)    即興・蓮華燈籠(海神別荘より)

坂東玉三郎さん演出・主演の「海神別荘:(泉鏡花原作)」が日生劇場で公演され、音楽を担当しました。この曲はその劇中曲の一つで、海に流された蓮華燈籠が波の間に間に漂う情景を表現したものです。つるた聰子さんによってそのイメージは昇華され、この世の美しい輝きを表現した「その日の朝」という作品になりました。

4)    山百合一輪川に流せば

命あるものが出会えば必ず別れがあり、悲しみがあります。人はその約束された悲しみを心に内包しながら生きているのかも知れません。歌詞の中の「花散れば行方知れず」という言葉はつるたさんの作品にもなっています。人の心の奥底に眠る慈悲心は、大いなる喜びにもなり、深い悲しみにもなります。そんな心を歌った曲です。


2nd
* つるたさんとトーク

1)     星の大地

今空を見上げれば、遥か宇宙には無数の星々がちらばり、この地球の何処に居ようともそこはまさに「星の大地」なのです。そして全ての命はその母なる地球で消滅と再生を繰り返しています。つるた聰子さんの作品「天空の玻璃」はそんな森羅万象の命の愛おしさが布の美しさを思う心に重なり名付けられました。

2)    月氏幻想―セレスの見た夢

紀元前3世紀頃、シルクロードの交易を担っていたのは遊牧民族の月氏(げっし)と云われた人々でした。彼らが手に入れた絹は遥かローマにまでもたらされ、当時、西方の人々は彼らのことを「絹の生産者」を意味する「セレス(seres)」とも呼んでいました。その月氏の人達が灼熱の砂漠を旅するイメージを曲にしてみました。

3)    空華(くうげ)

一瞬のうちに変容してしまう幻のようなこの世の姿。しかしその幻こそが現実の実相なのかもしれません。「時の流れの雪のような、この現世(うつしよ)の夢のひととき、何処かに流れて消えてしまうか」と歌うこの曲を、道元の仏教思想書『正法眼蔵』第14「空華」から取ってその題名としました。

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