古墳群が世界遺産に登録、同じ頃「装飾古墳」も造られていた

  • 2019年5月14日 23:37

「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」がユネスコの世界文化遺産に登録される見通しになってますね。よく知られている「仁徳天皇陵」は「大山古墳」 と呼んだ方が良いとか、いろいろいわれているけれど、これらの古墳が造られた5世紀ごろには写真のような古墳を造っていた一群も日本列島には存在していた。

5世紀から6世紀あたりに、九州地方に多く残されているが日本各地に点在している。3年前にも投稿したこともあるけれど「装飾古墳」といわれている。イマジネイション豊かな画にピカソもびっくりですよね。27、8年前、最初に知った時は驚愕した。

「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」とこれらの古墳群の人々がどのような関係なのかまったくわからないけれど、5世紀といえば大陸では東晋末期か ら南北朝の時代でそのころ北方の拓跋鮮卑族の北魏では「秦琴」の源流である「琵琶」が流行っていた。北魏の仏像の光背にはこの「琵琶」(現在の琵琶ではありません)を持つ技楽天がよく見受けられる。しかし日本の壁画や仏像にはまったくその痕跡が見当たらない。

当然「装飾古墳」の人々の信仰はとても仏教とは思えない。

「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」時代の音楽はどのようなものだったのだろうか。巨大な建造物を造った時代の音楽はそれなりに洗練されていたのだろうか。この時代の大陸中国の音楽は書物によればかなり洗練されていてその影響を受けていたのでは、と思ったりもする。それにくらべるとこの「装飾古墳」は5、6世紀にしてはあまりにも原初的で、その不思議さにかえって惹かれ、最初に知った時こういう感覚で音を出したいと思ったこともあった。お墓というのもあるかもしれないけれどなんかゾクゾクしますね。

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