ある日の夕方 本堂の廊下に一人座っていると
一匹の狐が境内をゆっくりと横切って行った
チラリ、チラリ、と私を横に見ながら
尾を下げ、頭を下げて、寂しげに


幾日かして私は高い熱を出して寝込んだ
何日も熱が引かず寝たまま動けずにいたある日の夜
天井の上を川の流れる音がして目が覚めた
時に岩にぶつかる様な 時に下に落ちる様な


私の体は寝ている布団のまま静かに浮かんで
畳の上をゆっくりと滑るように動き出した
左に流れ 右に流れ


いつの間にか私は又深い眠りに落ちた


どれ程眠っていたのかわからないが
ドゥドゥと流れ落ちる滝の音に目が覚めると
私は大きな木の下の剥き出た太い根に横たわっていた


滝壺に叩き付けられた水が霧に変わり辺り一面を潤し
立ち昇る霊気は木に、岩に、大地に深く沁み入り
私の体は太い木の根に少しずつ沈んで行く


ふと見ると 小高い岩の上に 遠くの崖の上に
幾匹かの白い狐が 見守る様に静かに私を見つめている


此処は何処だろう いつから此処に居るのだろう
何処かに置いてきた様な私の意識はゆっくりと薄れて行き
滝の音は耳の奥に螺旋を描きながら 遠くに遠くに落ちていった


目を覚ますともうすっかり夜は明けて
鳥の鳴き声は忙しくその日の準備に追われていた
その時にはもう熱も随分引き 天井の川の音もしなくなった


今でも夢か幻か判らない

夜行列車

この悲しみは
過ぎし時の彼方から こぼれ出てくものなのか


いやちがうぞ、ちがうぞ
これはまだ来ぬ未来の虚空から
吸い取り紙のように滲み出て 私の心を静かに浸す


約束された悲しみだ


幾夜を通り抜ける 夜行列車のように
ガタゴトと その悲しみの森に向かう


風は流れ 川は流れ 雲は流れ 時は流れ 夢は流れ 私は流れ
或る日の 或る時の 或る場所で 私は静かに眼を醒ます


鳥の声が遠くに聞こえるその朝に 夢も忘れたその朝に
古ぼけたテープレコーダーから聞こえる 君の声のやさしに


私は動けず立ちすくむ

街燈の灯りと月の光の境い目を
小さな蛾が ハタハタと蛇行しながら横切った
右に飛んだり 左に飛んだり


蛾は本当に飛ぶのがヘタだ
何処へ行こうとしているのか 其れさえ判らない
あの羽根の白い 目が緑色した 殆ど同じ格好の
強い風の日 ヒラリ ヒラリと優雅に踊っている様に飛んで
そう、僕達は紋白蝶と言っている


ユラユラ飛んでいる様にみえるだろう
どうして どうして彼らはどんなに強い風の日でも
ちゃんと目的地に行く


それに比べて蛾はどうだい
あっちにぶつかり こっちにぶつかり
それに今日は風も吹いていない
月の光に惑わされたとでも言うのか


そう云えば蛾は群れているのをあまり見たことが無い
陽だまりの陰に羽を広げ じっと動かず
いつも一人で何を思う


雲の間に間に流れる白い月が 薄黄色に変わると
蛾は又、ハタハタハタと動き出す


今日も君が振りまいた 無数の粒子が
街燈の光のなかで キラキラと銀色に輝き
星の瞬きに見間違えた