出来なかった

抱きしめてあげればよかった

幼い子供が走りよってきた

友人の葬儀の日

私の楽屋で 酒に震えて笑っていたその人

残された幼い子供は どんな気持で

走りよってきたのだろう

抱きしめてあげればよかった

しかし私はしなかったのだ


 話しかければよかった

ある日 その老人は絶望的にうつむきながら

私の前から歩いてきた

絶望に落ちた顔が 私の横を通り過ぎた

あの どうしました、

それでいい ちょっとでいい 話しかければ

もしかしたら何かが 変わったかもしれない

しかし私は話しかけられなかったのだ


話しかけられなかった

真夏のある日 その人は

渋谷の そう 宮益坂方面に出るガードの下だ

傷痍軍人などという言葉がもうすでに忘れ去られ

話しの淵にも出ない 今のほんの少し前

その人は ガードの下で四つんばいになり

白い木綿の傷痍軍人の服に 片手がなく 無言のまま

汗が 顔からボトボト ボトボト 舗道にたれる

無言のまま 叫び声が聞こえて来る

私達に 何かを 必死に そんなふうにしか思えなかった

話しかければよかった

何故 どうして あなたは このまったく平和な時代に

こんなことをしているのですか 聞きたかった

何故 何を

しかし私は出来なかった 話しかけられなかった


ある日 あの時 私は 何も出来なかったのだ