『山百合一輪川に流せば』2010年9月13日「スイートベイジル」コンサート

秦琴:深草アキ
笙 :豊剛秋(ぶんのたけあき)
パーカッション:甲斐いつろう

確かに燕が飛んでいた。親しい人の命を見送ったその帰り道、それ程澄み渡ってもいない五月の空を、なぜかゆっくりと燕が飛んでいた。夢から醒める様に、オレンジ色の炎が一つの真実を垣間見せてくれた。その帰り道、空舞う燕達が私を又、この幻想の世につれ戻す。この頃からか、私は悲しみの所在を時々考える様になった。都会の雑踏の中を歩いている時の不意に襲い来る悲しみも、野辺送りのマイクロバスから撒き散らされ、都会のアスファルトの下を地下水脈のようにひそひそと流れる悲しみも、まだ来ぬ未来の虚空から吸い取り紙のように滲み出る悲しみも、その源を辿れば人間の絶えざる精神の活動にたどり着くのだ。その中で人間は生きて来た。時には大いなる喜びに姿を変え、時には深い悲しみに姿を変えるこの精神を人間は、幾万年、幾十万年もかけ失うことなく育てて来た。時には見失い、時には忘れ、時には踏み付けた。しかしその度毎に天が裂けんばかりの悲しみの叫びと共に、この心が大地を突き破り吹き出てくる。こんな人間の神聖な営みに構わず、今日も青い空を飛び交う燕達はせっせと巣を作り、秋になれば又何処かに飛び去って行く。

「歌詞として」

人混みから聞こえ来るは
風の様な静かな青

いつの間にか外は雨降る
燕飛ぶ五月の空

幾千の夜過ごし来ても
必ずや別れあらん

悲しみは何処から来る
花散れば行方知れず