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アキ

お知らせです。8月24日(日)からNHKドラマ「蔵」が再放送されます。1995年に放送され、それから数回再放送があったのですが、今回の再放送は10数年ぶりですね。ドラマ「蔵」は1996年度のATP賞のグランプリに輝いた作品ですが、私にとっても非常に思い出深い仕事でした。CD『蔵』はサウンドトラックという制約がありながら、6作目の(月の沙漠を含む)オリジナル作品ともいうべきCDです。

主演の烈(れつ)を、幼い時期は当時子役の井上真央さん、少女時代を河野由佳さん、成長してからは松たか子さんが演じ、もう一人の主演、佐穂(さほ)を檀ふみさんが演じていました。そういえば来年の大河ドラマ『花燃ゆ』は、井上真央さんと檀ふみさんが出演されますね。「蔵」の再放送はその流れでしょうか。「蔵」の時の井上真央さんはたしか8才ぐらいでしたが、あまりに上手で、作曲のために送られてくるビデオをビックリしながら見ていたことが思い出されます。檀ふみさんには新作CD『満月の滑空』で表題曲の「満月の滑空」の詩の朗読をおねがいしました。こちらも是非お聞き下さい。

BS・NHKプレミアムで、8月24日(日)から9月28日(日)までの毎週日曜日、全6回、朝 10:00〜、です。「秦琴」の音がBSながらも全国に響き渡るのはいまからちょっと楽しみです。以前に見られた方も、見逃された方も、皆さんまた是非ご覧下さい。

NHKONLINEから

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CD『蔵』ーdiscographyのサイトもご覧下さい。

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『蔵』演出:大山勝美氏(CDライナーノーツより抜粋)

「魂をゆすぶられる音」を久しぶりに耳にして、私は胸をときめかし感動した。」 秦琴という不思議な楽器は甘くせつない音色を響かせる。『蔵』の演出担当が決まったとき、作曲家を誰にするか随分と悩んだ。『蔵』は盲目の少女「烈」を中心とした新潟の酒造業田乃内家の三代にわたる叙事詩である。私はテーマを「不運だったが、不幸にはなるまい、と努めた人々のドラマ」、だと考えていた。

『蔵』は、日本文化の伝統ともいえる酒造りが中心になっているだけに、日本的な味は欠かせない。秦琴の響きと音色を聞いたとたん、「あ、これしかない。今回の音楽は」と直感が体のなかを稲妻のように走った。原作者も、テーマ曲が聞こえだすと悲劇の予感がし、登場人物たちが可哀想で涙腺がゆるむと言ったが、私も録音にたちあいながら、魂をゆさぶられ胸をときめかしていた。

深草アキの音楽は単にノスタルジックで甘悲しいだけではない。生命のもつ「あやふさ」「哀れ」「悲しさ」「カづよさ」に触れているから、人々の魂をとらえ心をうつのてある。私にとっても『蔵』のサウンドは鮮烈であり、啓示にとんだ音楽であった。私は1995年に深草アキと出逢い、『蔵』の作曲を依頼したことを誇りに思っている。

 

檀ふみさんに詩の朗読をお願いした新作CD『満月の滑空』

「満月の滑空」Sample曲(2,3,4,6,7,8,9曲のオムニバス)[amazonで購入]

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NHKラジオ『すっぴん』出演、なんとか無事終了です。当日は朝から雨だったので余裕を持って家を出て、NHKではずいぶんゆっくり打ち合わせが出来たのですが、それでも緊張症の私は、本番では喉が渇いて、手が震えて・・。とにかく話して、演奏もしてなんとか無事終えることが出来たしだいです。私のようなミュージシャンにはこういう企画は大切です。

本番のスタジオの中。こんな感じでトークが進みます。右手前がホストのダイヤモンド・ユカイさん、後ろが藤井アナ。秦琴の説明をしています。取り上げてもらった曲は、CD『満月の滑空』の中から、「絃鼗三日月」「山百合一輪川に流せば」「満月の滑空」の三曲です。ただ、全編流すことは出来なく途中で音はしぼられ、その中でトークがかぶってきます。

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生演奏も一曲「荒城の月」。こういうところでの演奏は本当に苦手です。うまく演奏出来たためしがないのです。ああ(苦笑)お聞きの皆さんすいません、それでも暖かいファンの人達は、なかなかよかったよ、なんて云ってくれて、救われると云うしだいです(泣 笑)ほんとに不器用な私。

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藤井アナと私とユカイさん。記念に一枚。私は息子のシャツを着ていたので、ちょっとピチピチ。ユカイさんはなんか秦琴を気に入ってましたよ。秦琴の歴史は日本で云えば、卑弥呼の時代まで遡ると云ったら、秦琴の名前は「卑弥呼」だなんて云ってましたよ。でも名前はありません(笑)藤井アナが私のCDを持ってくれました。おつかれさまでした。つたない私のトークをもり立てて頂き誠にありがとうございました。

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プロデューサーの嶋村さんとディレクターの猿山さん。というわけで、4月30日(水)NHK第一ラジオ『すっぴん』出演無事に終了。皆さんおつかれさまでした〜。誠にありがとうございました。感謝 感謝!! 縁あればまた何時の日か。

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さて、5月27日(火)は四谷コタンライブです。小さなライブハウスでわがままな演奏ですが、皆様おいで下さい。

 

 

       

遅ればせながら、昨年の9月に発売されたリメイク版 CD『星の大地』のプロモーションビデオを作りました。今年もまた皆さんに音が届くように願っています。

 

【 ビデオ制作:椿茂雄 】

 

 You Tube はこちらです
http://www.youtube.com/watch?v=vdiV1GuNXVE

amazonでNET購入頂けます。

CD『星の大地」の詳細はディスコグラフィーを見て下さい。
http://akifukakusa.com/2011/10/hoshinodaichi-new.html

 

       

 このコメントは、2011年の6月に書いたものですが、私の原子力発電に対するスタンスをはっきりさせるためもう少し書き留めておきましょう。

 

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先日、作家の村上春樹氏の発言と、評論家の寺島実郎氏の発言の両方を聞きました。僕はまったく村上春樹氏と意見を同じくしますが、評論家の寺島氏は原発推進の意見でした。寺島氏が電力会社の広告塔でなくご自身の確たる意見でしたら、そのような見識ですので、とやかくいうものではありません。

ただ、僕は、原発は経済や政治とはまったく別次元の、人類が地球上で生きてゆく、その生存の行く末の問題であると考えています。寺島氏の云われた様に、平和利用と云う美辞麗句のもとに、原発に経済を絡ませた途端、村上春樹氏が云われた効率の罠に陥ることは目に見えています。その挙げ句の原発事故です。原発に経済を絡ませては絶対にいけません。また、脱原発を政治に利用しては絶対にいけません、政治が絡んだ途端、その本質が見えなくなるのは必定です。

そこで、先の朝日新聞の原発のアンケートについて考えてみました。「今の電力の30%が原子力発電です」、等という前振りの付いたアンケートでしたが、なぜこんな前ぶりを付けたか理解に苦しみますが。その結果は、原発を推進してゆく意見と、推進はしないが原発は維持してゆく意見とを合わせると約60%位になっています。原発から撤退する意見は15%位でした。

しかし、よく考えれば、この原発を賛成している人達は、原発が好きということでは当然ないでしょう。要するに、原発がなくなれば電力不足に陥り、不便になり、産業が停滞し、日本が、沈没してしまう、とそんな不安からだと思いますが、そこには、代替エネルギーのことは頭にないと思います。もしあったとしても、そんなものでは電力は賄えない、という莫とした考えからでしょう。

ただ、僕もふくめて、その人達は代替エネルギーのことをちゃんと検証したことがあるのでしょうか。実は、この「原発でなければ電力は賄えない」という考えは、「原発の安全神話」と一緒に、私達に刷り込まれてしまった幻想ではないかと思いますよ。

「脱原発」の論陣を張れない、マスコミもジャーナリストもまったく情けないですが、百歩譲って、いまジャーナリストが全力でしなければならないことは、その検証です。いま代替エネルギーはどのような可能性があるか、その検証です。それにはこのようにしなければなりません。

代替エネルギーに可能性を求める「脱原発」の科学者と、代替エネルギーに懐疑的な「原発推進」の科学者の双方の見解を検証しなければなりません。利権が絡んでいる非良心的な科学者は論外ですし、昨今のマスコミによく登場している軽薄な無責任な科学者は論外です。当たり前ですが、その両者の間には必ず齟齬があります。その齟齬こそが肝心なところです。その齟齬を徹底的に検証するのです、できれば双方の科学者を交えて、同じテーブルで徹底的に議論をするのです。しかし、そこに科学者の間違ったプライドやエゴを持ち込んではなりません。相手の見解を打ち負かそうという底の浅い議論になってはなりません。自身の足りなさを認めそれを踏まえた上での創造的な議論にしなくてはなりません。この日本の各大学には必ず、本当の意味での権威ある良心的な科学者がいるものです、それを探し出すのもジャーナリストの役割です。ジャーナリストは誇りある職業なのです。その誇りをもう一度取り戻して下さい。

そして、その検証の結果の真実を私達に知らせて下さい。それから、私達に、この国のゆくすえを決めさせて下さい。私達の今、最低限出来ることは、そのような検証なしにこのような国家の行く末を問うアンケートに参加してはいけません、ただイメージだけでは絶対にいけません。

僕も含め、15%の「脱原発」の人達は、たとえ電力が足らなくなっても原発のない社会を目指してゆこうと云う思いの人達であろうと考えますが、そうではない人達には確たる検証の真実の情報を知らせて下さい、そのうえで私達国民がこの国家の行く末を決めたいのです。一部の、テレビやマスコミに登場している評論家と云われている人達の言動に惑わされては行けません。国民一人一人が自立して意見を持つことが、いま一番大切なことです。

このような、原発事故があっても尚、目をつぶって幻想のような現実に流されてゆくなら、もはや魂のぬけがらと云わざるを得ません。そんな日本人になってはならないのです。この緑あふれる、水の島を放射能でこれ以上穢しては絶対にいけません。はるか未来までその廃棄物を残すことも絶対にいけません。気がついてみれば、この狭い日本に五十数基の原発ができてしまいました。

今回の事故は、やれ東電の責任だとか、政府の責任の人災だとか、マスコミは騒いでいましたが、僕はその責任の第一は、いままで原発を推進し、また見過ごして来た、マスコミも含め、僕たち国民全員にあると思っています。そのように考えなければ、東電の責任だとか、政府の責任の人災だとか云って、私達国民がこの事故から目をそらしてしまうことになりかねません。逃げては行けません。目をそらしてはなりません。しっかりとこの事故に向き合い、原発に関して自分なりの考えを持たなくてはなりません。その為には、確たるエネルギーの検証が、そしてその情報の開示が絶対に必要です。マスコミは戦前の過ちを繰り返してはなりません。その検証をした上で、「脱原発」か「原発推進」かの論陣を堂々と張ればよい。マスコミが自立していると云うならば、いまその論陣を張らなくてはいけない。

昨今のマスコミは、とくに一番影響が大きいテレビは、電力不足の恐怖を煽り、放射能の汚染の情報をまことしやかに流してはいるが、その先に議論を進めようとしていません。ドイツでは「脱原発」にエネルギー政策を転換したと云うニュースが東京新聞に載っていましたが、取り上げているテレビを見ません。皆その議論から目を背けています。徐々に原発事故から意識が薄れてゆき、もうどうでもよくなるのを、東電も政府も、マスコミさえもじっと待っているような気さえします。誤解されないように付け加えますが、僕の「脱原発」の心は、いま事故現場で必死に対応している人達や、電力会社を否定するものではまったくありません。電力会社は原発以外のエネルギーでいっぱい商売してください。それでいいのです。

原発を今即座に止めろと云っているのではありません。原発を今即座に止めろと云えば、それを逆手にとられるのは必定です。当然恐らく、原発から自然エネルギーへの転換には、二十年、三十年のスパンを持って考えなくてはいけません。その方法はいわば「戦術」です。原発に頼らない社会を目指す、というのは、いわば国家百年の「戦略」なのです。その意識を国民全体が共有し、また国是とすることが一番肝要です。その目指す方向が決まれば、日本人の知恵と勤勉さから長い時間はかかるとしても、きっと成就するものであると信じています。このような、国の行く末を決める事業には、強い決意と、創造力、そしてそんな社会を夢見る豊かな想像力が必要なのです。

いま、「脱原発」の社会を目指すと云う心は、いままで原発に目をつむってきた私達の、放射能汚染で苦しんでいるすべての人達への、いま必死で原発事故に立ち向かっている人達への、せめてもの贖罪なのです。

 

PSーこのコメントは2011年の6月に書いたものです。