筑紫さんが亡くなりました。残念としか言いようがありません。癌の告知をされてテレビから少し遠ざかってみえた時心配の手紙を出したのですが、順調に治療が進んでいるとの返事の葉書をもらいちょと安心をしていました。ただニット帽を被った姿をテレビで見ているとやはり心配はありました。ほんの二週間ほど前歌手の中島啓江さんに名古屋でまったく偶然にバッタリ合いました。私と彼女とは以前事務所が同じだったのですが、その彼女から筑紫さんが鹿児島の方に治療にいっている話しを聞きました。その矢先だったのです。
私が最初のレコード(CDも同時に)を出した時、筑紫さんに気に入ってもらいTBSラジオのニュースジョッキーのテーマを作曲させてもらいました。もう20年以上前の話しです。旧TBS会館で演奏したり、番組の終了パーティーで演奏したり、またCD『絲夢』ではライナーノーツも書いて頂きました。筑紫さん企画の、作家水上勉氏の「一滴文庫」での演奏等、等、色々応援して頂きまったくお世話になることばかりで私のほうからは何一つお返しすることができませんでした。私の怠慢から少し足が遠のいてしまいました。今から思えば私の方からもっともっと親交を深めて行かなければいけなかった。私のバカげた引っ込み思案を悔やんでみてももう遅いです。久しぶり会うことが出来たのが自宅のこじんまりした祭壇に掲げられた、いつもの様に笑ってみえる写真でした。まったく私の人見知りはこんな不義理をしてしまいました。
私はまだまだ生きて行くことが出来ると思います。その分、なんとか自分でもふんばって自分が納得出来る音楽をして行くしかありません。私の音楽は殆ど社会的影響はありませんが、それでも音楽をやる以上、人の幸せを願ったり世の中の平和を祈ったり、慈しみ合ったり、少しでも人の慈悲心に触れる音楽を求めて行きたいと願っています。
今はただ筑紫さんのご冥福を祈るしかありません。