著作権に則って手持ちの画集(鴻池楽斎編)から下村為山

  • 2020年12月27日 14:37

前回の投稿のネット上の著作権に則って手持ちの画集(鴻池楽斎編)から下村為山(慶応元年1865〜昭和24年 1949)の画を幾つか。1949年没なのでその年に僕は生まれてます。当然50年以上経ているので著作権はないですね。

投稿の最初の画は26歳のときの洋画の作品(慈悲者殺生)、一瞬写真かと思うほどですが画集の写真そのままです。50歳過ぎると字が面白い。為山は洋画から出発しているのですが年表によると1903年から1904年あたりに肖像画家として愛媛県を転々とし新しい日本画の創造に没頭していたらしい。

ちょうどその1904年に22歳の青木繁が「海の幸」を画いている。洋画家であった17歳年上の為山が新しい日本画の創造にのめり込み、ちょうどその頃、新進気鋭の青木繁が出現している。

そういう巡り合わせだけれどしかしどのみち当時彼らは無名なのだ。いくら死んでから売れても、死んで花実が咲くものか・・・

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下村為山(しもむらいざん)1865(慶応元)~1949(昭和24)85歳
松山藩士の家に生まれる。はじめ洋画を学び、1890年の内国勧業博覧会(東京)で入選するなど当時の洋画壇で将来を嘱望される存在だった。そのころいとこの内藤鳴雪を介して正岡子規と知り合い、洋画と日本画について議論を交わし、子規の俳句革新に大きく影響を及ぼした。為山もまた日本画に転向し、俳画を革新、日本画の新境地を開いた。

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慈悲者殺生

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傘を干す(暮るる日の太ゆたふ遠音鶯に 為山人句画)

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寒江

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子規庵句会風景

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自画賛(人の家に年くらしけり画に遊ぶ)

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為山逸士書貳幅 (一夫不耕天下受其饑 為山逸士)

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(断而敢行鬼神避之 為山逸士書)

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(みむなみへのひゆく国土のほりたつ)

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(月や華や筆の命譁毫とこしえに)

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