『千鳥遺稿集』が送られてきました

  • 2017年8月28日 10:51

田中千鳥って子知っていますか。鳥取県気高郡に大正6年に生まれ、大正13年、満7才で死んでしまった少女です。5歳から詩を書き始めました。他界してのち母親がその死を悼んで、死の直前まで綴り続けた自由詩40編はじめ、作文7編、なつやすみ日記、手紙などを編した『千鳥遺稿』を作りました。その復刻版が1998年に気高町の教育委員会から出版されていて(売り物ではありません)、数日前に気高町からその『千鳥遺稿集』が送られてきました。

7歳と5ヶ月で死んでしまったことを思いながら読むと涙が流れ、私の心も小学生にもどってゆくようです。

やはり特別な感性の子供だったらしく、叔父は編集後記にこのように書いています。

「・・・・病的にデリケートな感情を多量にもち往々家中のものを喜ばせ涙ぐませていたくせに一方に病的な我儘を持っていた。しかし皆が揃ってその我儘を通した・・・・・・死の前の三四ヶ月というものは凡ての人のみならずあらえる物象に異常な懐かしみを抱いていたように思われる・・・・・雨の日を渇仰し、雲を喜び星を憧憬していた。野原を凝視しては花の心を歌い、空を凝視しては一生懸命になって雲を描いた。そうした意味で彼女は、哲学的に云っても芸術的に云ってもある霊的なものを獲得していたと云っても過言ではなかろう。彼女の命に対して仄に悩み多いある何物かの潜めることを予覚していた・・・・・」

いま、「田中千鳥生誕100年記念」ということで鳥取県が短編映画など作り、すこし話題になっています。

載せた写真は遺稿集からスキャンしたものです。詩、二編とそれに添えられた文、それと「編集後記」に載せられている、「ばら色のリボン」(亡き子の霊に)と題された義父の追悼文です。母親の深い悲しみがわかります。ちなみにその母親の田中古代子も38歳で自死しています。

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「ばら色のリボン」(亡き子の霊に)と題された義父の追悼文です

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田中千鳥『千鳥遺稿』の詳しいことはこちらで。
https://www.tanakachidori.com/work.html#23

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