- 2018年9月 8日 11:17
もう三年前になってしまった、代々木上原「ムジカーザ」コンサート。「渭城曲~アリラン~山百合一輪川に流せば」の「中,朝,日」のメドレーという感じかな。ミスタッチもけっこうあるね、この半年後入院騒動になりました。三年って短いのかずっと前なのか、なんかずっと前の出来事のような気がするんだけどね。
かつて、大陸から日本への文化の伝播は、直接大陸から伝わるものと、朝鮮半島を経て伝わるものと、二つの道すじがありました。どのような伝わり方をしても、中国大陸、朝鮮半島、日本列島、この三者の文化は切っても切れない深いつながりを持っています。日本の邦楽器でいえば、そのほとんどが、中国大陸から伝わったものです。
しかし、その楽器から奏でられる音楽はそれぞれの民族性を色濃く反映し、そのメロディー感覚はおそらく、それぞれの民族のもっている「言語」に大きく影響されていると、私は思っています。私が創り出す秦琴の音楽は、歌が日本語という意味ではなく、日本語で出来ているのです。中国古曲の滑城曲(いじょうきょく)、朝鮮族のアリラン、これらを演奏してもよく聞くと結局全部日本語になっているのです。
秦の都の咸陽(かんよう)は唐代には渭城と呼ばれていました。中国古曲の「渭城曲(いじょうきょく)」は、唐の詩人王維がその渭城で友人である元二(げんじ)との別れを詠った詩に曲がついたもの。詩の題名は「元二の安西に使いするを送る」です。「アリラン」はもちろん朝鮮民歌、「山百合一輪川に流せば」は私の曲。まぁ「日中韓」のメドレーというところですが、僕は文化的には,中国大陸が母、朝鮮半島が兄、日本が弟、そんなふうに思うことがあります。母子・兄弟は争ってはいけない。
ちなみに「元二の安西に使いするを送る」:王維
渭城朝雨潤輕塵 :渭城の朝雨輕塵をうるおす
客舎青青柳色新 :客舎青青柳色新たなり
勧君更盡一杯酒 :君に勧む更に盡くせ一杯の酒を
西出陽關無故人 :西のかた陽關を出ずれば故人無からん
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