- 2022年4月17日 23:06
こんな世情だけれど、作家というか文豪というか、故・水上勉氏とのエピソードを書きたい。
敬称は全部略して、第三者の記事の体裁で、以下。
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1994年10月22日23日、29日30日に、作家の故・水上勉が主宰する「若州一滴文庫」の「くるま椅子劇場」にて、筑紫哲也プロデュースによる「幻夢一夜」コンサートが開催され、深草は石川さゆりと共にその初日に出演した。
そして、その後席(あとせき)が一滴文庫の母屋に設えてあった囲炉裏を囲んで行なわれた。筑紫哲也、永六輔などが参加し、深草は水上の隣りの席に座った。宴たけなわのとき、水上が禅に造詣が深いことを知っていた深草は水上に突然「禅とはなんですか」と聞いた、すると水上は「当所(当処 とうしょ)や」と即座に答えたと云う。
その後、深草はCD『黎明/Solrenning』を送りその感想を電話でもらったりして交流が続いたある日、水上からの電話で、知り合いの女性が「説教節」を朗読するので、その音楽を作ってほしいと頼まれた。深草は忙しかったこともあり先延ばしにしていたが、すると電話や水上自筆の書きなぐったような味のある文字の手紙で何度も催促されたそうだ。
水上が亡くなったその日、長女から電話があり、明日になると皆が来てバタバタするので今日ならゆっくり別れが出来ると云われ、急いで、当時深草のスタッフをしていた福田浩仁が運転する車で佐久の自宅に駆けつけた。
深草がベッドに横たわった水上の安らかな顔を見ていたまさにちょうどその時につけっぱなしになっていたテレビから、「TBSテレビ・ニュース23」のキャスターの筑紫哲也が水上の訃報を知らせていた、不思議な空間だったそうだ。水上のベッドの枕元に置かれていたCDコンポには深草のCD「絲夢」が入れっぱなしになっていた。
その「幻夢一夜」コンサートはこちら
http://akifukakusa.com/archives/2008/02/post_8.html
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