「長応寺異聞」 その5

  • 2024年7月 5日 14:01

四年前のちょうどこの頃、コロナの最中に「長応寺異聞」と題して、長応寺にまつわる話しを六話投稿していた。「その1」から「その6」までの六回の投稿を一回ずつ再投稿したい。長応寺は私が作曲とか練習とかにいつも御世話になっている大月・猿橋の曹洞宗のお寺さんです。話はほとんど20数年前の本当の出来事ですよ。

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「長応寺異聞」 その5 2020年7月7日 投稿

澤木興道(さわき こうどう、道号:祖門、1880年〜1965年)。近代禅者の鏡のような人だよ、と和尚は云った。

本堂で練習していたときに和尚がふらっと来て、アキさんこれ、ってぽんと渡された本、和尚曰く、近代禅者の鏡のような人だよ。

澤木興道(さわき こうどう、道号:祖門、1880年〜1965年)、明治から昭和を代表する日本の曹洞宗の僧侶、定住する寺を持たなかったことから「宿なし興道」と呼ばれていたらしい。僕はまったく知らなかったけれど本の表紙の顔をみてたら涙が出てきた、僕が子供の頃田舎に行くとこういう顔の人ってよくいたような気がするけれど、どうして泣けてきたのかよくわからない。

4才のときに母を、7才のときに父を亡くし一家離散の憂き目に遭い、17才のときに出家得度し各地の優れた高僧から広く教えを受けるために行脚した、日露戦争に出征し、その後様々なお寺を転々としながら1935年(昭和10年)に總持寺後堂になり修行僧の指導にあたる。徹底した坐禅教育を行い 「何にもならんもののためにただ坐る」という只管打坐を貫き、その一生を通じて実践して見せた。(Wiki)

この『禅の境涯』は、北周・隋代の中国禅宗の僧璨(そうさん)の韻文「信心銘」を説いたもの(昭和16年)と、『禅宗に於ける行に就いて』の文章(昭和14年)を併せて発行された本です。澤木興道を知って同じ曹洞宗の山頭火を卒業できた気がしたけれど、それはそれで山頭火もやっぱり心惹かれますよね。

興味のある方は澤木興道を追っかけて下さい、その言葉はいまの時世にまったく色あせない。

 

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