- 2015年10月 6日 23:35
2004年から2006年にかけて、沖縄「首里城」を管轄する(財)海洋博覧会記念公園管理財団によって、名古屋徳川美術館所蔵の「琉球王朝式樂楽器一式」の復元事業が行われ、私は、絃楽器の「琵琶」「四線(すうせん)」「月琴」「長線(ちゃんせん)」の音階調査・研究を担当しました。このビデオは、そのうちの「長線(ちゃんせん)」を実測して製作されたレプリカの「長線」を演奏し、この楽器がたんなる飾り物ではなく、楽器として機能していたかどうかを検証したものです。その結果、以下のように数種類の「調(key)」を再現することが出来、この「長線(ちゃんせん)」が確かに楽器として機能していたことを立証したビデオです。
『双調・夾鐘均羽調式』
『道宮・仲呂之宮』
『正平調・仲呂之羽』
『黄鍾羽・無射之羽』
『双角調・夾鐘之閏宮』
『小石調・仲呂之商』
柱(フレット)のある楽器はそれによって音程が決められてしまいます。この「長線」の柱(フレット)は、ギターのように半音ずつの間隔で付いているわけではありません。また例えば、正倉院所蔵の「阮咸(げんかん)」のように、見た目にも柱の付き方の規則性が判るものとは異なり、この「長線」の柱制(フレットの付き方)は見た目ではその規則性を判別できず、また実物を測定した柱の位置は、「三分損益」で割り出した柱の位置とも一致していませんでした。そのため、このような柱制(フレットの付き方)の「長線(ちゃんせん)」が飾り物ではなく、音楽的に楽器として機能していた、つまり音楽を演奏できたかどうかを立証するには、実際に演奏して確かめるしかありませんでした。
それにはまず糸の太さを決め、調弦しなければなりません。この復元事業で、初めて式樂楽器のなかの「笛」を実際に吹いてその音程を検証しました。館長である徳川氏の立ち会いのもとで行われましたが、今後はこのようなことは行わず、最初で最後ということでした。古い楽器ですから壊れてしまうということも考えられますから。その「笛」の音程から、「琵琶」「四線(すうせん)」とのかねあいを勘案しながら糸の太さを決めていきました。その結果、一の糸を「35-1 義太夫・太口」、二の糸「25-1」、三の糸「20-1」、四の糸「16-2」としました。
そして演奏するためには、この「長線(ちゃんせん)」の四本の弦を調弦をしなければなりません。「長線」の祖先である「阮(げん)」の調弦であった「清風調」、それに「四度調絃」「五度調絃」を試した結果、この「長線」は「四度調絃」がもっとも合理的な調弦であることが確認できました。簡単に書きましたが、何ヶ月もかけての試行錯誤の末のことです。
詳しい報告書は現在財団の内部資料となっているので公開できませんが、この内部資料には「笛」の測音をはじめ、それぞれの楽器の実測調査など、とても貴重な資料もあるのでいつか東洋音楽学会の機関誌『東洋音楽研究』に公開する機会を持ちたいと思っています。
ただ琉球王朝当時、実際にどのような音楽が奏でられていたのかは確実には判っていませんが、「琉球王朝江戸上り」の際、この式樂楽器で演奏された曲目の題名の多くが、中国・明代の王圻(おうき)によって著された『續文献通考』に記されているので、中国明代の宮廷音楽に影響されていたのは確かなようです。またこの『續文献通考』には、中国の皇宮で四人の演奏者によって琉球音楽が演奏されていたことも記されています。
現在、復元された楽器は「首里城」に展示されています。とても美しい楽器です。また、沖縄県の有志グループによってレプリカ的な楽器で演奏会も催されています。