先の投稿の「若州一滴文庫」での演奏を終えたその翌日

  • 2017年11月30日 01:18

先の投稿の「若州一滴文庫」での演奏を終えたその翌日、水上勉氏の弟さんに車で村を案内してもらった。水上家の菩提寺にも行き先祖代々のお墓を見せてもらったり、村の人々が土葬で葬られている小高い丘には、その中腹に小さな仏像が設けられ、お線香の煙がたなびいていた。

この村のはずれに六畳あまりの小さな阿弥陀堂があった。明治か大正だか忘れたけれど、女性の盲目の旅芸人が女の子を連れて流れ着き、その阿弥陀堂で暮らしていたそうだ。その言い伝えから発想を得て水上勉氏の小説「はなれ瞽女おりん」が生まれたそうだ。

車を止め小道を歩き、その阿弥陀堂に向かった。すると阿弥陀堂の脇の木に紐が張られ、そこに干された洗濯物が目に入った、明らかに誰か暮らしている。弟さんに聞くと○○ちゃんが住んでいると、名前は忘れたけれど、その人を「ちゃん付け」で呼んでいた。彼は精神に障害を持ち、村の畑の草むしりや田植え等を手伝い、村の人達に見守られながらその阿弥陀堂で暮らしていた。

彼は幼い頃京都で暮らし、両親が亡くなると、福井か新潟か忘れたけれど遠い施設に入れられた。その施設が馴染めず、逃げ出し、この阿弥陀堂に辿り着いて暮らし始めたそうだ。私達が阿弥陀堂に着いた時は彼は何処かに行っていていなかったけれど、中をちょっと覗いてしまった。粗末な布団が敷いてあり、わずかな食べ物が散乱していた。すこし衝撃で、祀ってある観音様がどんな姿なのかすっかり忘れている。

そんな彼は、祇園祭になると、自転車で野宿をしながら京都に行くそうだ。幼い頃、両親と見た祇園祭の、彼の目に映るその艶やかさは如何ばかりだろう。
ギーコギーコと自転車をこぐそんな彼に、雨降れば辛かろうと思い、まだ題名のついてなかった曲に「晴れのち晴れ」と名付け演奏している。この出来事はもう20年以上前のことなので彼がまだ生きているのか、死んでいるのか判らない。

ビデオは東京六本木にあった「スイートベイジル139」の2010年のライブ。
笙ソロとパーカッションソロをフューチャーした曲「晴れのち晴れ」

秦琴:深草アキ
笙:豊剛秋
パーカッション:甲斐いつろう

 

 

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