秦琴の歴史

<要旨>

秦琴は漢代から六朝(りくちょう)時代にかけて「琵琶(批把)」と呼ばれていた円形の胴体に柱(じゅ、すなわちフレットのこと)の付いた直頸(ちょけい)の棹を持つ四絃の絃楽器にその源流を求めることができる。

直頸とは、棹と絃巻の部分とが、例えば現在の日本の琵琶のように直角に折れ曲がっているもの(曲頸 きょっけい)とは違い、まっすぐに付いていること。

この琵琶は1700年ほど前の晋代にはすでに近世秦琴と同形の如意(にょい)状の棹頭を持ち、桐製の円体胴に絹絃が張られ、三絃のものも現れてくる。隋、唐代になるとそれらは総称して秦琵琶(しんびわ)と呼ばれ隋、唐当時のものは「秦漢子(しんかんし)」とも号されていた。そして唐代中期頃になると、その形体が一回り大きく変化し、阮咸(げんかん)と呼ばれるようになった。

阮咸はその後、阮(げん)阮琴(げんきん)、月琴(げっきん)などとも呼ばれ、その土地土地の音楽や習慣等に影響され、様々な大きさ、形、絃の数の楽器に変化しながら、宋、元、明、清と伝承されてゆく。【胴の形が八角形になったり、絃の数が復絃の二絃になったりする】 そして少なくとも清の康熙帝(こうきてい)(1662~1722年)の頃には現在の秦琴とほとんど同形の如意状の棹頭を持つ三絃の楽器が再び現れてくる。この楽器は現在の「秦琴」の最も卑近なルーツといってもよいだろう。【胴の形は現在の梅花形とは異なって円形のもの】

この「秦琴」は1950年代頃までは中国において現在の三絃や月琴と並ぶ最も大衆的な楽器のひとつで、その胴の形が梅の花弁形から「梅花秦琴(ばいかしんきん)」とも呼ばれたり、蛇の皮の胴を持つものもあった。しかし、音楽大学にその専科がなかったこともあり、専門の演奏家が少なく、現在では広東省の潮州(ちょうしゅう)音楽や道教の寺院等、一部の民間音楽に用いられている。

追補ー台湾では、粤曲、潮曲北管等の音楽に使われている。

詳細は「秦琴の歴史」の本文を参照されたい。数回に分けて書きたいと思う。

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