今年最後のブログです

  • 2012年12月29日 18:01

今年最後のブログです。皆さん「朝鮮通信使」はご存知の人も多いと思いますが、江戸時代の沖縄、即ち琉球王朝も「琉球王朝の江戸上がり(えどのぼり)」と云い、江戸時代を通して18回も江戸幕府に使節を送っています。その文化交流の重要なものとして、琉球王朝の人達の音楽の演奏が江戸城に於いてなされ、各大名が正装で参加したそうです。演奏したり、踊りを披露したりしたのは「楽童子(がくどうじ)」といわれた子供達だったのですが、その楽器一式が名古屋の「徳川美術館」に残されています。

7〜8年程前、財団法人「海洋博覧会記念公園管理財団」に依って行われた徳川美術館所蔵「琉球王朝式楽楽器」の復元調査に関わりました。資料そのものは内部資料となっているので、いまのところ公開出来ませんが、いつかしかるべきところに発表できるかもしれません。今回はその概要を数回に分けて取り上げてみたいと思ってます。「琉球王朝の江戸上がり(えどのぼり)」自体についてはいろいろ研究がなされているのでそちらを参照して下さい。ネットでもある程度のことは判ります。

当時は、「琉球王朝式楽楽器」の実物の弦楽器の実測調査、笛の実音調査など行い、また様々な博物館などの施設に収蔵されている類似の楽器についても調査を行いました。音楽家としてこの調査に関わったのは私一人でしたのでいろいろ苦労がありましたが、2年程かけて弦楽器についてのある程度の調査結果を出すことが出来ました。実際の楽器復元は、漆作家である室瀬和美氏の工房が中心となり、すでに完成して首里城に展示されています。東京でも少し前に公開展示がありました。

「徳川美術館」所蔵の「琉球王朝式楽楽器」の弦楽器の一部

okioki-1-1.jpg

これtらは「式楽楽器」の一部ですが、皆エキゾチックで美しい楽器です。僕の演奏している「秦琴」と通じるところがおおいにあり、調査は苦労がありましたが得難い経験でした。一番右の楽器は「長線(ちゃんせん)」と云い、所謂「阮咸(げんかん)」もしくは「阮(げん)」と呼ばれる楽器の、明清時代の形のものです。このレプリカを僕が演奏している音源もありますので、随時お聞かせしましょう。

 

 

Search
Feeds

Return to page top