「平和ボケ」ということ

  • 2015年9月18日 10:59

ことは、先の衆院選で自民を大勝させ、あまつさえも参院選までも勝たせてしまったときからはじまっている。多くの人は、「経済の立て直しを託した」のであって、ここまで託したおぼえはないと云うかもしれないが、原発再稼働はじめこうなることは判っていたはずだ。安倍晋三と云う人の歴史修正主義に近い感性を感じていなかったとはいわせない。これほど強引なことが出来てしまうのは選挙で大勝した数の力だけれど、これを与えてしまったのはつまるところ大衆だ。このことをけっして忘れずに来年の参院選にはきっちりと意思表示をして、答えをはっきりさせよう。

「平和ボケ」とは、平和な世の中に安穏としていること、ではない。平和な世の中ゆえに「平和」の真の意味を感得できず、その尊さを忘れ、あまつさえもその「平和」を捨て去ろうとしてしまう、それを「平和ボケ」と云うのです。

「秦琴教坊」の事務局長でもある友人、野崎保志氏が撮影した写真。

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