- 2018年5月 9日 16:32
写真を整理していたらこんな写真も出て来た。作家の故・水上勉氏と小諸のご自宅で撮った写真。晩年の水上さんとの写真だけれど、このころは水上さんに曲作りなどを頼まれたりして、いろいろありましたね。水上さんのきまぐれかな、なんて思って放っておいたら催促の手紙が何通も来た。水上さんは2004年に亡くなっているので、もう15年以上前になるのかな。
憶えば、水上さんが亡くなったその日に娘さんの蕗子さんと連絡を取り、明日になるとバタバタと人が多いので、今日ならゆっくり別れが出来ると云うので、東京から小諸の自宅までいつもスタッフをしてくれる福田くんの運転で駆けつけた。ベッドに横たわる水上さんの死顔を見ながら、丁度その時、つけっぱなしになっていたテレビから筑紫哲也さんがニュースで訃報を伝えていた。筑紫さんももう故人だけれど、私が水上さんの顔を見ていたまさにそのときにテレビから筑紫哲也さんの声が聞こえ訃報を伝えていたのだ。私と水上さんとの縁は筑紫さんの企画したコンサートがきっかけになっているのでそのときはほんとに不思議な感じがした。
ベッドの頭の所に置いてあるラジカセをふと見ると、私のCD『絲夢』が入っていた。水上さんが最後に聞いていた音楽はCD『絲夢』なのかな、でもずいぶん使ってない感じだったなぁ。
水上さんから届いた、曲作り催促の手紙などは機会あれば改めて公開しましょう。なんか親子みたいな写真だなぁ。
筑紫哲也さんが水上氏のために企画したコンサート「幻夢一夜」。アーカイブスのサイトに。
http://akifukakusa.com/archives/2008/02/post_8.html
- Newer: 蒲郡市民会館コンサートの打ち合わせ
- Older: 秦琴を習うにはまず糸掛け、糸絞め、からはじめる