義父の俳句

  • 2021年7月 1日 23:40

数日前に騒がれていた経産省キャリア2人組の給付金詐欺事件、慶応から東大のロースクールに進学した一人はおそらく慶応の法学部法律学科の生徒だったかもしれない。慶応の法学部法律学科といっても司法試験を目指す者はあまり多くなくて五年間大学にいたけれど僕のまわりには一人もいなかった。兎にも角にもこんな姑息な奴は一人もいない。

タワーマンションに住み外車を乗り回していたらしいけれど、同じ公務員だった義父の俳句を思い出した。

私の義父は、明治45年(1912年)に生まれ技術者として逓信省、電電公社と勤め上げ最終的には、当時のNECの社長に請われて、いわゆる天下ってNECで仕事を終えている。電電公社時代は黒塗りの車が迎えにくる地位にあって、技術者として「前島密賞」などさまざまな賞や勲章をもらっているが、ありがちなパーティーやお知らせもせずにつつましく暮らしていた。温厚で人徳があり、さながら山本周五郎の小説に出てくる老武士のような感じで、僕は尊敬していた。

「住むに足る 終の草廬や 夏の月」(草廬(そうろ):質素な住処)

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