「百済観音に寄せて・大人の子守唄」、1990年4月、新宿ミノトールライブ

  • 2021年11月26日 00:28

「百済観音に寄せて・大人の子守唄」、1990年4月、新宿ミノトールライブ、カセット音源。
秦琴:深草アキ
打楽器:甲斐いつろう

80年代の後半から90年代にかけて新宿西口高層ビル群の一つ「NSビル」に新星堂直営の「ミノトール」というライブハウスがあった。当時、新星堂は「オーマガトキ」というレコード会社を立ち上げていて、僕もオーマガトキからレコード・CDを出していたこともあって「ミノトール」には度々出演していた。シャンソンとかボサノバなんかのレストランライブハウスだったので僕みたいな音楽はやっぱり異色だったんでしょうね、演奏が始まると20分も30分も休まずに弾いていて、しかもステージで胡座で。

そのミノトールでの1990年4月のライブから『大人の子守唄』、最初のレコード・CD「秦琴」に入っている曲で、傷ついたり自信が無くコンプレックスで落ち込んだりした自分への慰めのタイトルだったと思う。このライブの曲を聞きながらたまたま法隆寺の「百済観音」の写真を見ていたら、この謎多き仏像に惹かれた。

作者は不明で、制作年代も飛鳥時代ではあるがはっきりとしない、法隆寺にもとから在ったものではなく、後世、他の寺院から移されたものとの説があるが正確なことは不明である、日本で百済人によって制作されたものと見なされてはいるが、朝鮮半島からの舶載品なのか、確証はない。様式は中国・南朝のものが百済に伝わったものとされているがこれも確たる証拠は無い、「百済観音」という呼称もさほど古いものではなく、大正6年(1917年)の『法隆寺大鏡』の解説が初出であるとされている。韓国では、自国が与えた古代日本文化の源流として、多くの歴史教科書でこの像を取り上げている(wiki)。

仏像を見る心は古と現在とではまったく違う、現世の苦しみの救済を来世に願い仏像に託す心はもうとっくに失われていて、仏像自体は美術品になってしまっているが、果たしてそうなのか、死する者は決して戻らない謎多い死の何一つも解っていない、死は理解するものではなく受け入れるものだと判っていても。

「百済観音に寄せて・大人の子守唄」、1990年4月、新宿ミノトールライブ

 

 

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