『遠きにありて思うふるさと』

  • 2022年3月 4日 18:24

『遠きにありて思うふるさと』、1989年4月新星堂本社地下ホール、カセット音源。
秦琴・足鈴:深草アキ

私事です、故郷と伊勢湾台風のこと。

名古屋市に隣接する蟹江町には町の真ん中を蟹江川が流れています。そして名古屋市との境目には福田川という川が流れています、この福田川が伊勢湾台風のときに氾濫しました。1959年、昭和34年、私が小学校4年の時です。

台風が潮岬に上陸し福田川の水が増したので青年団の人たちが堤防を見張っていました、本当かどうか判りませんが、川向こうの人たちがこっち側の堤防を崩しにくる、そんな話しも出てました、そんな時代でした。

風雨が激しくなった夜半に、外から、水が出たぞー水が出たぞー、と叫ぶ声が聞こえてきて、立ち上がると何故かふらつきアレっと思ったら畳が浮いてきました、父は名古屋の会社を守るために留守にしていたので、母は、当時家事を手伝っていた人と一緒に二人の妹を背をって、私の手を引いて、押し寄せる水の中を町の高台まで逃げ、なんとか助かりました、胸まで水につかって逃げたのを今でも覚えています。

大水は一日で引いたのですが、そのあとは満潮時と干潮時を繰り返しながら水が来たり引いたりしていました、一家全滅の家も数々あり甚大な被害がでました。

「伊勢湾台風 wiki」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E6%B9%BE%E5%8F%B0%E9%A2%A8

私たち子供は原っぱに来ていた自衛隊のヘリコプターを見に行ったり、木箱を舟代わりにしたりして遊んでいました、子供はある意味たくましく呑気なもんです。

幼いときの祭りの太鼓や家に来ていた芸者さんの三味線の音が私の音楽の原点の一つかも知れません、話しは尽きませんが、そんなふる里を離れて半世紀以上、東京じゃぁ人口の半数位の人が地方兎出身者ですね、僕もその一人で、多くの人がそうであるように、異郷の地に骨を埋めることになるわけです。

『遠きにありて思うふるさと』1989年4月新星堂本社地下ホールにて

 

 

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