- 2010年10月18日 21:59
2008年から始めたBlogも早いもので2年半も経ちました。月日の流れるのは早いものです。僕もその間パソコンと格闘しながらなんとか色々な操作を覚えて来ました。おかげでこれまで十数万人のアクセスがありました。もちろん延べ人数ですが。それでも僕にとってはホームページは情報発信の重要なツールの一つです。そこで今回から新しいサイトで気分一新再スタートしようと思います。もちろん、今までのBlog記事も上段メニュー「過去のBLOG」からこれまで通り見ることが出来ます。
新サイトの一回目は、先日の「STB スイートベイジル」コンサートの写真が幾らか届いたので載せたいと思います。音がないのでなかなかイメージが湧きませんが、近日映像の編集が出来上がりますので、その時はまたBlogやフェイバリット、You Tubeに載せようと考えています。
秦琴:深草アキ
笙 :豊剛秋(ぶんのたけあき)
編鐘:孟暁亮(モンシャオリャン)編鐘は巾7m程ある楽器です←ここをクリック
パーカッション:甲斐いつろう
とりあえず写真を幾つか。
中央に私、左にパーカッションの甲斐氏、右に笙の豊(ぶんの)氏、そして後ろに「編鐘(へんしょう)」が並び孟(mon)氏の演奏が鳴り響きます。
メンバー紹介です。豊(ぶんの)さん紹介中!
左から甲斐氏、私、孟(mon)氏、豊(ぶんの)氏、孟さんは演奏中は「編鐘(へんしょう)」の後ろなので演奏中の写真が撮れませんでした。
本番前の孟さん、リラックスしてますねぇ〜。今回のコンサートは孟さんのおかげで音に重厚感が出て非常に面白いサウンドになりました。「編鐘(へんしょう)」の音は、昨今色々ある金属製の楽器とは一味も二味も違う音です。「編鐘」ならではの分厚い音です。悠久の中国の音です。我が国の多くの邦楽器はそのほとんどが中国から伝わった楽器です。ただこの「編鐘」は伝わらなかったのですが、それには少し訳があるのです。弥生時代の「銅鐸(どうたく)」は中国殷代の青銅器の「銅鈴(どうれい)」の流れであると云うことですが、音階を付けて奏でられていたと云う訳ではないように思われます。「編鐘」は古代中国では主に「雅楽」に用いられていました。しかし実は中国の本来的なこの「雅楽」は日本には伝わっていないのです。遣唐使が持ち帰って来た当時の中国の音楽は「雅楽」とはまったく別の、所謂「俗楽(ぞくがく)」と云われた音楽だったのです。古代中国で主に「雅楽」に用いられていたこの「編鐘」は「雅楽」と同じく日本には伝わらなかったと云う訳です。その代わり金属の音階がある打楽器としては、「方響(ほうきょう)←クリック」という楽器が伝わり用いられていました。小さな金属片を並べて叩く楽器です。「編鐘(へんしょう)」とはまったく別物の小さな楽器なのです。この「方響(ほうきょう)」は、実は遣唐使の吉備真備(きびのまきび)がその元になる鉄製の一片を持ち帰ったことから我が国に伝わったのです。おそらく当時の中国の音楽の基本的な音高の一つの証査として彼は大事に懐にいれて持ち帰ったことでしょう。今で云う音叉(おんさ)のかわりになるのですから。
甲斐氏と奥さんのカオンさん、カオンさんは日本の笛を演奏します。二人で「香音天(こうおんてん)」というユニットを組み音楽活動をしています。まさに夫婦で笛と太鼓のユニットなのです。
演奏が終わり楽屋で皆で乾杯です。
豊(ぶんの)さんと彼女の万善さん、近々めでたくゴールインです。万善さんは「青年座」の役者さんです。この新しいブログがアップする頃は多分本番真っ最中です。劇名は『月が水面に忍び来るがごとく』です。
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