ちょっと、青梅に

  • 2010年12月21日 20:22

ライブの時にスタッフや照明、また時にはチラシのデザインをしてもらっている福田君が青梅に引っ越したので、ちょっと青梅に行ってきました。彼と一緒に僕の年賀状のデザインをするためです。

彼のアパートに行く途中にこんな「トンカツ屋」さんもありました。なんか昔の芸者さんの「置屋(おきや)」みたいですね。こんな感じの家が青梅にはけっこうあります。

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また、ちょっと行くと「津雲国利(つくもくにとし)邸」がありました。明治26年に生まれた強面の青梅出身の政治家だったそうです。今はここには親族の方も住んでいません。門構えも立派な大きな家ですが文化財にはなっていないそうです。

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この津雲国利(つくもくにとし)の次女に竜子さんと言う方がいます。彼女は、もと皇族の賀陽宮恒憲王(かやのみや つねのりおう)の長男であった、邦寿王(くにながおう)に嫁ぎましたが、この邦寿王(くにながおう)には、まさにドラマにもなりそうな逸話があります。ウキペディアにはこんなことが書かれています。

【邦寿王(くにながおう)は京都大学在学時、祇園の舞妓洋子と深い仲となり結婚を決意するが、両親の大反対と洋子が結核に冒されたことで頓挫する。心配した両親が津雲竜子と強引に結婚させるが、邦寿は結婚に際し「洋子の病気が治ればすぐに離婚しよう。竜子には気の毒だが指一本触れまい」との決意で臨んでいた。結局洋子の死後も邦寿の気持ちが変わらなかったため結婚3年で離婚。義母の賀陽敏子から「本当にすまなかったねぇ、あなたの半生を台無しにして。申し訳なさで言葉もないわ、どうぞ幸せな第二の人生をみつけてください」とのお詫びと励ましの言葉を受けて、竜子は処女のまま賀陽家を去った】

いやぁっ、なんかすごい話しですねぇ、当時はマスコミ的に話題になったんでしょうね、今だったら絶好のワイドショーネタですね。その後どのようになったかは判りませんが、ウキペディアによると賀陽邦寿さんは昭和61年に亡くなっているそうです。


青梅からの帰りの立川で面白い列車を見ました。僕は列車マニアでないので詳しくは判りませんが、ネットでちょっと調べてみると、HD300‐901、と云うそうですよ。

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鉄道マニアの人達が写真を撮っていました。そんなことが面白かったので、ぼくもちょっととってみました。

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このHD300‐901のことは以下のサイトに詳しく載ってます。なんか、音楽とは全然関係ない話しになってますが・・・・(笑)

http://rail.hobidas.com/blog/natori/archives/2010/03/post_1231.html

「鉄道ホビダス」(実物から模型まで・・・日本最大級の鉄道専門サイト)だそうです。

 

 

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