1977年、後期「Far East」セッション、カセット音源

  • 2018年2月 6日 16:30

これもカセット音源。長い文章ですがビデオの音の由来なのでご一読を。

1970代の初頭あたりから活動していたFarout(ファーラウト)が解散し、ボーカルの宮下文夫(宮下富美夫 故人)とシンセの伊藤あきらは新たにメンバーを募集した。そこにギターの福島博人、シンセの高橋正則(現、喜多郎)、ドラムスの高崎静夫、そしてベースの私(深草アキ)が参加して1975年ごろに六人編成の「Far East Family Band」が結成された。二作目のアルバムをイギリス・オックスフォードのマナースタジオで録音するなど二年程活動したが、私がバンドを脱退した後に分裂しボーカルの宮下富美夫とギターの福島博人はドラムスに原田裕臣を迎え「ファーイースト」の名前を継いで活動していた。私もゲストミュージシャンとしてベースで加わり本栖湖の「神湖祭」コンサートなどに出演し、またアルバム一枚を制作した。

伊藤あきら、高橋正則(喜多郎)、高崎静夫は「ライジングサン」と云うバンド名で活動し、のちに高橋正則は喜多郎として世に知られるようになったのは周知のことだね。

この音源は1977年後半頃、後期「ファーイースト」の宮下富美夫(シンセ)、福島博人(ギター)、そして私(ベース、モロッコの小太鼓ダルボカ )の三人のセッションで一時間程のセッションした音を聞きながらもう一度セッションを重ねて作った音源を短く編集したもの。元の録音はオープンリールだったけれど今はカセットテープしか残っていないのでかなりレアな音源ではあるかな。巷で流れている音楽とは一味も二味も違うけれどなにを感じるかは聞き手の自由だね。

私が27才ごろのベーシストとして活動していた時期でその後私は「観世音」というバンドを結成し、その活動の最中に秦琴と出会っている。秦琴で最初のレコードを出す10年ほど前の出来事で現在の秦琴の音楽とは全く異なる音だけれど、このベーシスト時代は私にとってとても重要な時期でした。

 

 

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