名古屋の「徳川美術館」に併設されている「逢左文庫(ほうさぶんこ)」に行って来ました。今、早稲田の先生と取り組んでいる、柳宗元の『絃子記』の一つが収蔵されているので、その確認に出かけました。多治見の教室の翌日に合わせて行ったのですが、この「徳川美術館」は数年前の沖縄の「琉球王朝式楽楽器」の実測(絃楽器)、実音(笛)調査に何度も行ったことがあり、その時は本当にいい経験でした。
ちょっと難しい話しに成りますが、この『絃子記』は『唐人百家小説・偏録家』と『欣賞編ー明・沈津、潘之恒閲』という叢書の中に収められ、我が国では、前田育徳会、公文書館、逢左文庫、東京国会図書館だけにしかありません。また『四庫全書』の集部・『明文海』にはこの『絃子記』中から「三絃」の記述だけを抜き出したものが、少し文章を省いた形で、収められていますが、しかしこれは使えません。
今回確認できたのは、公文書館、逢左文庫、東京国会図書館の『絃子記』はすべて同じ版木から刷られたものだと判りました。前田育徳会も同じものであると推察できるので、今、我が国ではこの『絃子記』は一種類しか無いと言うことが判りました。
まぁ、とにかくこのようなことを確認するため、色々な図書館にあるものを照らし合わせるのです。そして確認する訳です。面倒ですよ、けっこう。なぜかと云うと、中国の古い文献は誤字脱字が多いので、きちっと確認しないとまったく意味不明になってしまうことが多々あるからです。それというのも、実際に、宋、明代に版木を彫っていた人は殆ど文盲の人達で字の形しか判らなかったからです。
もう少しで 『絃子記』の中の「三絃」の全文とその解説を載せることが出来ます。
「逢左文庫」のパンフレット
「徳川美術館」の入り口
正面が 「徳川美術館」
この蔵が 「逢左文庫」の入り口。中に入ると奥が図書館になってます。左側から「徳川美術館」にもつながってます。
閲覧し終えて名古屋駅から東京に戻りました。その途中に訃報が携帯に入りました。僕のスタッフの福田君のお母さんが亡くなりました。今はただ、ご冥福を祈るだけです。明日は葬儀に行きます。福田君も悲しくて大変だけど踏んばろう。
コタンで会いましょう。