「小野竹喬展」に行ってきました。東京の竹橋にある「国立近代美術館」です。小野竹喬と云っても知らない人も多いでしょうが、明治22年生まれの日本画家です。文化勲章も授章されてます。14才のとき、京都の竹内栖鳳塾に入り画家の修行を始めました。1979年に89才で亡くなってます。
僕は自分がまったく画の才能がないので、その分なんとなく画が好きなのです。とくに日本画の岩絵具の色彩感とタッチが好きで、よく日本画展に行きます。好きな作家はたくさんいます。その中で何故小野竹喬氏なのかと云うと、それは30数年程前の、ぼくが秦琴と出会った直後あたりに遡ります。当時僕は「観世音」と云うバンドを結成していて、音楽活動をしていました。バンドに尺八や琵琶、鼓、等を入れて日本の新しい音楽を創りだそうと模索していました。
そんなある日、電車の中である日本画展の広告を見ました。その時の広告に使われていた画が小野竹喬氏の画だったんですが、その広告の画を見たとき、こんな画の様な音が作れたら良いなぁ、と思ったことを今でも憶えています。その画は、小野竹喬氏の晩年の連作、松尾芭蕉の「奥の細道」をテーマにした「奥の細道句抄絵」シリーズの中の画だったのです。
この画です。「田一枚植ゑて立ち去る柳かな」、と題されていました。
パッと見ると子供の画みたいでしょう(失礼、笑)、いやいや勿論こう云う画はなかなか描けません。ある意味名人芸です。達人です。80才を過ぎてからの画です。思うがままに、てらい無く、独特の緑と青の色がほのぼのと、のんびりした感じです。
ぼくが、28,9才位の時かなぁ、1978年の山種美術館の「特別展 第三回現代日本画の十人展」の時の広告の画で、おそらく秦琴と出会った直後だったと思います。この画を見てこんな風に音が出せればいいなぁ、と 思ったものでした。いやいやなかなかそうはいきません。まぁ、私はまだまだ模索中です。
そんな思い出深い、小野竹喬氏の展覧会に行ってきました。17、8才の時の画から晩年の画まで、見応えがありました。色彩の感じが実に良いです。
そのうち僕が好きな作家をブログに書きます。
チケットです。
図録の表紙です。