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『月氏幻想ーセレスの見た夢ー』2010年9月13日「スイートベイジル」コンサート

秦琴:深草アキ
笙 :豊剛秋(ぶんのたけあき)
編鐘:孟暁亮(モンシャオリャン)
パーカッション:甲斐いつろう

紀元前3 世紀頃のシルクロードの交易を担っていたのは遊牧民族の月氏(げっし)と云われた人々でした。彼らは当時、タクラマカン砂漠の南に位置していた、于闐(うてん・コータン)と云われた都市国家から、玉(ぎょく)を掘り出し中国に運びました。そのことから、中国の人たちは彼らを「玉(ぎょく)の民」とも呼んでいました。彼らはその玉(ぎょく)の見返りに絹を手に入れ、その絹はシルクロードを超えて遥かローマにまでもたらさ、西方の人達は彼らのことを、「絹の生産者」を意味する「セレス(seres)」とも呼んでいました。この「月氏」は匈奴に追われ、今のアフガニスタンの北方に「大月氏」と云う国をつくりました。そこからクシャーナ朝が生まれたと云われていますが、この月氏からクシャーナ朝そしてササン朝ペルシャにかけての、中国の文化に及ぼした影響は、「秦琴」という楽器の歴史に多いに関係があると思われるのです。そんなイメージを曲にしてみま した。

『渭城曲』(中国古曲) 2010年9月13日「スイートベイジル」コンサート

 

『渭城曲』(元二の安西に行くを送る)

渭城(いじょう)の朝雨軽塵(けいじん)を浥(うるお)す
客舎青々柳色新たなり
君に勧む更に盡(つく)せ一杯の酒
西の方陽関を出ずれば故人無からん

唐の王維(おおい)が友人である元二との別れを静かに吟う。人の心は民族、時代を超えておおよそ変わらない。いつの世にも、人間の世界には喜びがあり、悲しみがあるものだ。人の心から観れば、今此処が唐の都「長安」でも、唐の「長安」が今此処でもかまわない。唐の時代の悌を残すこの曲も、静かに耳を傾ければ千三百年の時の流れを一瞬にして超える。秦琴の音色に静かに、笙、編鐘がよりそう。

秦琴:深草アキ
笙 :豊剛秋
編鐘:孟暁亮

『晴れのち晴れ』2010年9月13日「スイートベイジル」コンサート

秦琴:深草アキ
笙 :豊剛秋(ぶんのたけあき)
パーカッション:甲斐いつろう

この曲を演奏する時、いつもある人のことを思う。その人は若狭地方のある小さな阿弥陀堂に住んでいた。祇園祭の時期になるとかつて父母と暮らしていた京都まで自転車を漕ぎ、野宿をしながら祇園祭を見に行った。私達よりも何倍も喜びを感じる彼の目には、なんときらびやかで、その鳴り響く音は、彼を幼き日々の父母のもとに連れて行ったことだろう。音楽をすることは大きな喜びがあるものだが、私は時々、自分は彼程の喜びを持っているのだろうかと思ったりもする。その彼が京都まで自転車で行くのに雨では大変だろうと思い、「晴れのち晴れ」と題名を付けて演奏している。
力強いパーカッションソロを展開してくれた甲斐氏との付き合いはもう随分長い。私が「秦琴」と出会う前からであるから、40年程になる。大らかで時に優しく力強い打楽器は彼独自のものだ。豊氏の笙のアドリブの部分は豊氏の提案で少しリズムを変え、4ビートのような感じになっている。

『山百合一輪川に流せば』2010年9月13日「スイートベイジル」コンサート

秦琴:深草アキ
笙 :豊剛秋(ぶんのたけあき)
パーカッション:甲斐いつろう

確かに燕が飛んでいた。親しい人の命を見送ったその帰り道、それ程澄み渡ってもいない五月の空を、なぜかゆっくりと燕が飛んでいた。夢から醒める様に、オレンジ色の炎が一つの真実を垣間見せてくれた。その帰り道、空舞う燕達が私を又、この幻想の世につれ戻す。この頃からか、私は悲しみの所在を時々考える様になった。都会の雑踏の中を歩いている時の不意に襲い来る悲しみも、野辺送りのマイクロバスから撒き散らされ、都会のアスファルトの下を地下水脈のようにひそひそと流れる悲しみも、まだ来ぬ未来の虚空から吸い取り紙のように滲み出る悲しみも、その源を辿れば人間の絶えざる精神の活動にたどり着くのだ。その中で人間は生きて来た。時には大いなる喜びに姿を変え、時には深い悲しみに姿を変えるこの精神を人間は、幾万年、幾十万年もかけ失うことなく育てて来た。時には見失い、時には忘れ、時には踏み付けた。しかしその度毎に天が裂けんばかりの悲しみの叫びと共に、この心が大地を突き破り吹き出てくる。こんな人間の神聖な営みに構わず、今日も青い空を飛び交う燕達はせっせと巣を作り、秋になれば又何処かに飛び去って行く。

「歌詞として」

人混みから聞こえ来るは
風の様な静かな青

いつの間にか外は雨降る
燕飛ぶ五月の空

幾千の夜過ごし来ても
必ずや別れあらん

悲しみは何処から来る
花散れば行方知れず

『星の大地』2010年9月13日「スイートベイジル」コンサート

秦琴:深草アキ
笙 :豊剛秋(ぶんのたけあき)
編鐘:孟暁亮(モンシャオリャン)
パーカッション:甲斐いつろう

コンサートの時には大体いつも最後に演奏する私のテーマソングのような曲。愛知県で生まれた私は東京に来てもう40年以上になる。地方から上京し東京で暮らしている人達は、たとえ何十年暮らしていてもなんとなく根無し草のような感じになるものだ。そんな東京の空に“天の河”が見えなくなったのはいつ頃からだろうか。東京もかつては、どの位前なのか判らないが、大いなる星の大地だった。しかし考えてみればこの地球の何処にいてもそこは星降る里なのである。汚れた空の、その空の向こうには無数の星がきらめき、永遠の時が流れている。コンクリートの街の中にいるとそんなことも忘れ、日々の生活に追われてしまう。心の中の「星の大地」を忘れないように、私はこの曲の向こうからいつまでも手を振り続けていこうと思っている。